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竿春の歩み
竿春の歩み

受け継ぐ技
竿春の歩み

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先代と源竿師

昭和23年

竿春の歩みは


ここから始まった

初代竿春(以降、竿春という)の阪部博は、口減らしのため奉公に出され、和歌山県橋本市の源竿師(山田岩義)の弟子となる。

竿春の出来事

業界の動き

昭和29年

年季が明け、源竿師親方から山サ竿春の銘を譲り受ける。竿の卸問屋の金子氏の導きで千葉県柏市へ。

  • 先代と金子さん
  • 先代
  • 先代

昭和20年代

  • 昭和25年、日本へら鮒釣研究会(以降、日研という)が発足。へら鮒釣り人口が増え、放流事業が盛んになる。

  • 昭和20年代~30年代の竿問屋は、泣く子と竿問屋には勝てぬと言われ、竿職人の生活から竿の販売まで問屋が独占し、問屋に支度金や生活の面倒をみてもらうことが慣習だった。竿師に入る賃金は僅かだった。

昭和30年代前半

1日100kgの釣果に耐えうる竿を作るために野本氏(野本釣具店、上尾園店主)から、「最低でも40kgでも曲がらない竿を作れ」と課題を与えられた。野本氏は小売店店主だけでなく剛竿製作に援助の手を差し伸べた。野本氏を訪れると必ず読むべき本を数冊持たせ、将来何をなすべきか考えさせてくれた。竿春は野本氏を兄のように慕った。

  • 野本さん1
  • 野本さん2
  • 野本さん3

昭和30年代

振り出し竿のグラスロッドが発売される。

昭和32年

竿春の長男、清(のちの二代目竿春)が誕生。

  • 清を囲む竿春一家
  • 竿春一家
  • 先代と奥様

山村氏(俳優 山村聡)が紀州竿に関するノウハウを習得するため、竿春宅に頻繁に通った。紀州の孤舟と竿春から意見を聞いたが、孤舟の「竹より優れた素材があれば使ってみたい」との言葉がきっかけで、ハイブリッド竿を作る精神的支柱となった。また、「竿師も自分の主義・主張を明確に持って、自分が竿問屋を選択しないと古い体制に飲み込まれ生き残れない」と助言される。

  • 清を囲む竿春一家
  • 竿春一家
  • 先代と奥様

昭和34年代

穂持ちにグラスを巻き焼き付けた竿、紫雲を金子商店から発売。1000kg釣っても異常なし。

昭和30年代後半

竿春は東京、埼玉、千葉を中心に卸すのを希望していたが、金子氏は東北や北関東の小売店に卸していた。金子氏への引き渡し価格の3~4倍の値段で店頭に並んでいるのを見て金子氏との間に亀裂が入る。

昭和30年代後半~40年代半ば

  • へら鮒釣り人口も急激に増加の一途をたどる。釣り人は、関東のヘラブナ釣りに合った竿を求め出した。

  • 昭和30年代~40年代、横利根川では船宿が大盛況。2週間前に予約が必要だった。日研の支部が多く利用した。

  • 上尾で野本釣具店と釣り堀上尾園を開業した野本賢二氏が、釣った鮒の持ち帰りを禁止にし一日300円で釣らせた。 ハリやエサの改良、開発、販売。息子の正明氏は関東にウドン釣りを最初に普及させた。

  • ふまつげん本舗から麩エサが発売される。

  • 昭和40年、業界初の専門月刊誌「へら鮒」が創刊。

  • 北斗へら研を設立し日研会長になった佐藤徳通氏は、支部連合制を敷き、マナー向上、放流事業、釣り場の造成、ジュニア育成などへら鮒業界の発展に寄与。

  • 昭和43年、第二次へら鮒ブーム到来。

昭和39年

大阪の実弟修を柏に呼び寄せ、東葛飾高校に通わせた。卒業後、竿春に弟子入りする。竿銘は竹馬。親方の言うことを理論的にデータで残す。

昭和48年

清が16歳で竿春に入門する。

河口湖長浜の藻場で大型地ベラが釣れて、釣り人が押し掛けた。魚が掛かっても、藻に入られて釣り上げることは困難だったが、竿春の竿は簡単に釣り上げるとして、竿春神話が出来た。脇銘「極」「竿粋」は段巻きで竿の粋が集まった竿、「竹冠」は口巻きで竹の粋が集まった竿として、一世を風靡した。

昭和40年代後半

オリムピック社から並継ぎの世紀という名のカーボンロッドが発売された。

昭和51年

本造り、極本造りの2種類の竿を販売していたが、「魚を楽に取り込みたい。楽しく釣りたい。年をとっても肘を曲げるだけでヘラブナが簡単に浮く竿でなければ価値がない」と言った飯島崇智氏(千葉県旭市・旭二中の元教頭)。自分の個性を反映した竿を求める時代にさしかかっていることを実感し、個性、特色のある竿作りを模索するきっかけになる。

  • 先代と金子さん
  • 先代
  • 先代

昭和51年

  • 日研会員数8318人、支部数219。

  • ダイワ精工から21尺215g、元径15.5mm、真っ黒な竿が発売される。

  • 征興産業から21尺、元径14.6mmが発売。

  • 幸手園オープン。競技会が中心で1日に30kg~40kgの釣果を上げなければならないため、竹竿では限界があった。「竹竿では掛けたヘラブナを竹の繊維による弾力で強引に引き寄せると竹の繊維を破壊し竿は曲がった。対してカーボンロッドは掛けたらヘラブナを強引に水面上に上げ、腕力で手元に引き寄せる。ヘラブナを遊ばせない釣法で、しかも竿は曲がらない。手入れも楽。

昭和50年代後半

50歳を前にして精神的にも肉体的にも満身創痍であった竿春に対し「一日中釣り竿を作っていて頭がそこから離れないのは良いことではない」「同業種だけの人間関係だと人間性が狭くなる」「異業種の人達と付き合うことは大切だよ」「人に接する時、総合的に考えないと人は動かないものであることを悟るべきである」など飯田氏(大利根カントリー支配人として佐藤栄作総理をはじめ、政財界の多くの人々を見てきた)からの教えは竿春の人生観まで変えていった。「親方、ゴルフの練習に行くぞ」と迎えに来ることも度々あった。

  • 先代と金子さん
  • 先代
  • 先代

昭和60年

新商品開発のため、フィールドテスターによるテストと調整を繰り返した。

  • 先代と金子さん
  • 先代
  • 先代

昭和55年から構想を練っていたハイブリッド竿『響』(穂先、穂持ちをカーボン)が完成。「競技志向でへら鮒は大型化し、桟橋の釣りが主流になるから、竿は短めが中心になるだろう」「ヘラブナが食ってる時はいいが、スレた時に竿が乱れるから改良したほうがいい」など早川氏からアドバイスをもらい、何度もテストで試釣しながら作った。発売当初、伝統を重視し新しいものを嫌う傾向のある業界からは、反発の声が多数を占めていたが、3年後に大ヒットとなり、月産100本の量産体制で、寝る間を惜しんで普段の10倍近い火入れをした。

昭和60年代

  • 飯島氏(千葉県旭市・旭二中の元教頭)の発案で小中学生を対象としたヘラブナ釣り教室を開催した。竿師として清が参加。釣り指導を早川氏が担当。響を使う男児がいた。「カーボン竿は風がちょっと吹いただけでエサがポイントに入らないけど、この竿だとポイントに行くんだよ」との言葉に、ハイブリッド竿の答えを得た。

  • 宇田川氏(ウキ職人「雨月」)はジャズが好きで竿春を渋谷にある渡辺貞夫のライブハウスに招待した。ナベサダが自分たちと同じところまで降りて目線を合わせ親しく会話してくれた。奢らず高ぶらない態度に、人との出会いが人を変えることを知った。

  • 竹馬談(竿春について)「貪欲に次から次へといろいろなことを考え出している。特に最近は後に続く者達のために何をしなければならないかを真剣に模索している」「釣り竿をヘラブナを釣るための道具としてのみ捉えているのではなく、高級品市場の伝統工芸品としても視野に入れ、創作活動を始めている」

昭和63年

へら竿のときわで「竿春・影舟二人展」を開催。剛と柔の展示に会場を訪れた観客は多いに盛り上がった。2人で作った3本の竿に1本250万円の高値が付いた。

  • 影舟談(竿春について)
    「ハイブリッド竿も出品されていて世間にハイブリッド竿を認知させる、世間に勝ってやるという意気込みで勝負していたのがひしひしと感じられた。バランスさえしっかり考えて作れば面白いと感じ、実際その後5本作らせてもらった」

  • 竿春談(影舟について)
    「ぼくの太くて引っ張れる竿に対して、影舟さんのは細くて遊び心に優れている。竿づくりにあたりどんな方向をどのように考え、どう作っているのか、とても興味をそそられた」

大きく関わった人物

  • 影舟様。関西・関東を問わず当代随一の芸術的で綺麗な竿作りで名を馳せていた。竿は細身で柔らかく魚を掛けると胴に乗る、遊び心満点の釣趣に優れた作りで、関東でも多くのファンが存在し孤舟の後継者として脚光を浴びていた。

  • へら竿ときわ様。釣具店開業の際、出入りしてた問屋の金子商店の隣が竿春宅だったことが縁。昭和60年、ハイブリッド竿「響」を同店で販売し、1万5千本を売り上げた。地方からの注文が100本単位で来ることも珍しくなかった。

  • 二人展で高値で落札した中に清遊湖の社長渡辺重雄氏がいる。大型釣りに魅了されていたが、掛かってもなかなか大型のヘラを上げることができず、へら竿ときわに相談したところ、竿春の竿をすすめられた。以来、竿春の信奉者になった。

平成4年

  • 清遊湖オープン。大型中心で1枚1キロを超す。

  • 椎の木湖オープン。四国の養魚場では1キロを超す魚は除外されていたが、釣り人目線で大型の魚も選んだ。平成に入ると、管理釣り場は大型志向になり、フラシでの検量までの待ち時間で魚が痛んでしまうため、自動検量機を設置した。

平成16年

清の長男、篤司が弟子入り。

平成18年

本造り、極、百煉の他に『選』を発売し、清が価格では先代を超えた。

川崎の鮒仙人で「山サ竿春きよ志力作展」を開催。純正竹竿の本造り、極、百煉9本、冴の本造り、極、百煉6本が完売。その場で自分好みのデザインや調子を伝え注文する人が殺到した。

平成19年

竿を使う人と直接対面できる場としてギャラリー竿春をオープン。

  • 先代と金子さん
  • 先代
  • 先代

中国、韓国でヘラブナ釣りが趣味として根付き釣り人口が増加し、フィッシングショウや釣り大会も開催した。

  • 先代と金子さん
  • 先代
  • 先代

平成22年

柏の清游湖にて、ギャラリー竿春オープン3周年記念釣り大会開催。

  • 先代と金子さん
  • 先代
  • 先代

平成28年

清が二代目襲名、同時に長男篤司があつ志としてデビュー。

  • 先代と金子さん
  • 先代
  • 先代

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